2003年2月の日記



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1日(土)
今日は午後から会場として使用させていただく盲学校へ準備に行きました。
と言っても私は何もせずに遊んでいただけなんですが…。 (^^;

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2日(日)
そして今日、第40回近畿視覚障害者卓球大会が行われ、大きなけが人も無く終了する事が出来ました。
まずは、各府県氏の選手の皆さんが無事に会場まできていただけるか心配でしたが、JR紀伊駅でタクシーの数が少なくてご迷惑をかけたものの、路線バスの時間なども知らせておいたおかげで予定の時間内には全ての団体が受付を済ませる事が出来ました。
ただ、インフルエンザの流行などで、当初60名の選手登録があったものの当日参加されたのは48名でした。
代表者会議・開会式と予定通り進行し、午前の団体戦と進む予定が何の原因かSTTの3コートのうち1コートが遅れ、他の2コートは一回戦・準決勝戦が終わっているのに残りのコートではこれから京都府と大阪市での準決勝戦が始まると…。
私たち和歌山県チームは一回戦で神戸市に勝利したものの準決勝戦で奈良県チームに負けて三位決定戦へ。
しかし、三位決定戦で戦う相手は未だに決まっていない…。
時間も12時近かったのでとりあえず奈良県の皆さんと昼食をとりに控え室へ。
昼食から体育館に帰ってきても未だ準決勝戦をやっている…。
午後1時からは個人戦が予定されているし、終了時間の事もあるのであまり予定を遅らせるわけにもいかないだろうから、この分だと京都府と大阪市の皆さんは昼食をとる時間がないぞ…。
やっと準決勝戦が終わって、3位決定戦の相手は大阪市に決まり、急いで試合開始。
試合は1対2で負けて4位という事になったが、大会が終了してから相手の選手の一人が団体戦の選手登録をしていない事に気付いてしまった。
であれば逆に2対1で勝ってたのかも…?
どうやら大阪市の団体戦の選手登録でミスがあったのを気付いたのが一回戦のはじまる直前…。
で修正の申し出を受けた大会本部が相手の承諾を得て試合を始めたらしいが、和歌山県との試合の時は何の説明も確認も無かった…。
もしかしたら、これが原因で試合が遅れてたのか??
結局、団体戦が終わったのが1時過ぎ。
京都府と大阪市のみなさんには急いで昼食をとりに行ってもらい、試合の始められるコートから個人戦開始。
和歌山県チームでは、三四郎さんが二回戦から登場し勝利。しかし、準々決勝戦では昨年の優勝者に敗北。
登夢太郎さんは一回戦・二回戦とストレート勝ちし準々決勝戦で昨年12月に和歌山県身体障害者卓球大会の三位決定戦で負けている大阪府の選手とだったのでリベンジを試みましたが残念ながら、またも負けてしまいました。
ケンタウリさんは二回戦からの登場だったのだが二回戦も相手が欠席で不戦勝。準々決勝戦では学生時代にコテンパンにやられたという奈良県の選手に勝利しベスト4へ。
しかし、準決勝戦では三四郎さんに勝った選手と互角の戦いをしたものの僅かな差で負けてしまいました。
そして三位決定戦も登夢太郎さんに勝った選手に残念ながら負けてしまいました。
私はと言えば、二回戦で昨年の二位の選手にあっさりと負けました。
結局、今年の優勝者は私に勝った選手で、二位が三四郎さんとケンタウリさんに勝った選手、三位が登夢太郎さんとケンタウリさんに勝った選手という事でした。
帰りもなかなかタクシーが無くて選手の皆さんにはご迷惑をかけましたが、後かたづけも終わって5時過ぎには解散となりました。

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16日(日)
今日〜明日と県視協の幹部研修会と県身連の部会委員会で南部の国民宿舎・紀州路へ。
 行きは私と三四郎さんの全盲二人連れで和歌山&海南から南部まで普通(各駅停車)で行ったのだが、以前は和歌山←→紀伊田辺の普通があったのに今はほとんどが、丁度真ん中あたりになる御坊で乗り換えになっている。
しかも御坊紀伊田辺は二両編制のワンマンで、ほとんどの駅は巡回駅(無人駅)で先頭車両の最前部ドアしか開かない。 (^^;
私たちが下りた南部は2時間に一本は特急が止まる駅なのでワンマンでも全てのドアが開いたので良かった。
当初は御坊での乗り換え時間が3分しかなかったので少々心配していたのであるが和歌山駅ではJRの職員さんが改札から乗車までサポートしていただき、御坊では載ってきた列車の車掌さんが乗り換えのサポートをして下さった。
南部では和歌山駅から南部の駅員さんに連絡はして下さっていたようではあるが、職員の人数が少ないから到着した列車の改札業務が一段落するまでホームへ来られないようだったので他の降車客の移動する声などを参考にして自力で改札まで移動した。
まあ、初めての駅では自信はないがちょうど一年前にも利用していたのでだいたいの見当はついていたし、都会のように次から次へと列車も来ないしね。
改札からタクシー乗り場へも駅員さんがサポートしてくださったし、もう一つの心配であったタクシーにもすぐに乗れて研修会にも間に合った。
午前中に雨が降っていたので梅林観光のお客さんも少なかったのかな??
日頃の行いが良いのか、もう雨も止んでいる。 (^-^)
 そうそう、列車での移動が11:20〜13:07だったので昼食は列車内でとる事にしていて、私がマクドでハンバーガーを、三四郎さんが海南でおにぎりを買ってくる事にしていたのだが、私が和歌山駅まで送ってもらう途中で寄ったマクドナルドではまだ朝のメニューしかなくてナゲットが買えなかった。 (TT)
結局、車内では私が買ってきたフィレオフィッシュとフランクバーガーと三四郎さんが買ってきてくれた缶コーヒーだけを食べておにぎりとお茶は残しておいた。
 研修会は三部構成であったが支援費制度の事についてもっと時間をとって欲しかった。
まあ、その分を後で…。 (-_-;
研修会の後、部屋へ入ったのだが、予想通り去年と同じ三四郎さんと浩さんの三人部屋だった。 (^-^)
夕食までの僅かな時間ではあったが浩さんの先導で私とビンちゃんの三人で温泉でカラスの行水。 (^^)v
予定時間の10分前くらいに 夕食会場へ行ってみるとすでに開いている席は少ない…。
三人並んで座れる席は偉い人たちの向かいだけ…。 {{(>_<)}}
まあ、食べる物がなくなったらさっさと撤収するつもりだったのでそのまま着席して食べ始める。
内容は去年よりも…。
しかもまだご飯や吸い物とデザートが出てきていないのにカラオケが始まりそう…。
おまけに嫌がる私をカラオケのトップバッターに…。 (@@)
あーん、やっぱり声が出なかったよぉ! (TT)
で、デザートのメロン?を食べたらすかさず三四郎さんと部屋へ撤収。
ほとんどお酒を飲まない私たちにとっては何か物足りなかったし明日まで置いておくのも??なのでここで昼間のおにぎりを二つとも食べた。 (^-^)
しばらく部屋でゆっくりしてからビンちゃんとまさやんがご来訪。
何かミニオフ会って感じ。
浩さんは帰ってこないので今回はまさやんを先導に四人で温泉へ。
今度はちゃんと身体も頭も洗ってゆっくり入浴。 (^O^)
部屋へ戻る途中で自販機で飲み物をゲット。
さすが国民宿舎、値段が外と同じ。
あっ、ここでのお金は三四郎さんが出してくれてたんだぁ。
おまけに百円硬貨を落としちゃったし。 m(__)m
11時を廻ったあたりで浩さんが呼びに来たので福祉課の職員さんの部屋へ移動。
で、研修会の時には時間が無くて聞けなかった話をじっくり聞かせてもらった。
先日、和歌山市の福祉室の方の説明とは違って支援費制度で利用出来る移動介助(ガイドヘルプ)の範囲が多岐に渡る事に驚いた。
気が付くと既に真夜中の3時…。 (-_-;
それぞれ自分たちの部屋へ戻り就寝。

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17日(月)
今日は6時半に起床。
さすがに睡眠時間が3時間ちょっとだったので浩さんと朝食までに目覚ましに温泉へ。
朝食ではいつものごとくご飯を3杯。 (^-^)
8時過ぎに浩さんは一足早くサヨウナラ。
私と三四郎さんとビンちゃんは9時からの会議へ出席し、ここでまさやんともサヨウナラ。
会議はいつものように時間が足りなくなって意見を言う事もなく10分押して終了。
帰りは南部から11:44の特急の自由席で和歌山へ。
もちろん三四郎さんやビンちゃんご一行様も。
て言うか、有田より北へ帰る人はほとんど特急に乗ったようだ。
三四郎さんとビンちゃんご一行様たちとは和歌山駅に着いてから駅地下でみそラーメンを食べて解散。
 その後、私は眼科と胃腸科へ寄って自宅へ。
あーあ、眠かったぁ!!

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20日(木)
今日の会議を飛ばしてしまったぁ。 (-_-;
電話がかかってくるまですっかり忘れてたもんなぁ。 (^^ゞ
ちゃんと事前に家を出る時間から電車の時間、バスの時間までチェックしてたのに、肝心の日&曜日の感覚が??。
て言うか、今まで平日の夜に会議をする習慣が無かったので…。
おまけに今週は月曜日が泊まりあけの会議だったので曜日の感覚が一日ズレてたのかなぁ…。 (^^;;
 4月にも平日の夜の会議があるので今度は忘れないようにしないと。 (^^;

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