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第43回島根大会


一日目
二日目
三日目





一日目 8月22日(金)
まず、17時頃でお仕事を終了し、夕食と入浴を済ませ、家を出たのが19時。
JR和歌山駅で20時半に待ち合わせをしていたので、電車を2本乗り継いで到着。
今回、島根へ行くメンバーは、私の他に弱視のSさん、全盲のKさんとHさんの合計4名です。 (^O^)
ここでまず私の一つ目のチョンボ。 (^^;
20時38分発の天王寺行きの各駅停車に乗らなければいけないのに、みんなには20時48分発と伝えていました。 (^^ゞ
あやうく乗り遅れそうになりながらも無事に全員乗車。
各駅停車で日根野駅まで行き関西空港からやって来る関空快速に乗り換えて大阪駅へ向かいました。
普通なら和歌山駅から天王寺駅へ行き、そこから環状線で大阪駅へ向かうのですが、天王寺駅でのホームの移動よりも日根野駅ではホームの移動が無いので、こちらを選択。
各駅停車の車内で忘れ物がないかをチェック。
なんとKさんはいろいろなパンをHさんはドーナツを買ってきていました。
Hさん曰く、「電車に乗っている間タバコが吸えないので、その気を紛らわせるためにドーナツを買ってきた」そうです。
この人は一体どれだけタバコを吸うのだろうと思いましたが、これについては後々実感しました。
まず、車内が空いていた事もあって、まずHさんが買ってきたドーナツを処理しました。
大阪駅に到着した我々はまず島根行きの寝台急行列車「大山(だいせん)」が到着するホームを確認し、食べ物と飲み物を買い込みに行こうと思ったのですが、22時30分の時点で既にキヨスクは閉まっていました。 (TT)
Hさんはビールが欲しかったようですが残念ながら見つける事ができず、仕方なく自動販売機でジュースだけを何本か仕入れる事にしました。
この大山には我々の他に大阪府・滋賀県・奈良県の皆さんが乗って行くとの事だったのですが、残念ながらホームでは見つける事ができませんでした。
列車が到着し、いそいそと乗り込み、自分たちの寝台へと移動し、荷物を下ろしました。
まずは、これで松江へは到着できるという事で、第1関門はクリアです。
我々の席はA寝台という事で、上下2段になった寝台が2つずつ向かい合わせになっているものでした。
私は上の方が楽しそうだったので上を選びました。
でも上の寝台へ上るための梯って意外と小さくて使いにくかったです。
そうこうしていると、どこかで聞いた事のある声がするなぁと思っていたら、隣の列の寝台に大阪府の方がおられました。
ここでビールを何本か分けてもらい、Kさんが買ってきたパンを夜食代わりにいただきました。
パンがあまり好きではない私ですが、このパンはとっても美味しかったです。
大阪府の方に「他の皆さんはどうしたの?」と聞いたら、滋賀県と奈良県の皆さんは寝台ではなく、指定の椅子席で行かれるとの事でしたので、列車内でお話をする事はできませんでした。
(後で聴いた話によると、指定席の皆さんはほとんど眠れなかったようです。)
大阪府の方々とパソコンの話やら取り留めのない事を話していたら、列車が大阪駅を出発して既に2時間を過ぎていました。
他の乗客の方々は眠っているようでしたので、さあてそろそろ寝ようかなと思いましたが、意外と揺れるもんでなかなか眠る事ができず、タバコを吸ったりトイレへ行ったりしながら、結局眠ったのは2時を過ぎていました。
まあ初日としては大した問題もなく無事に夜が更けてゆき、列車は福知山線を経由して島根へと向かうのでありました。

二日目 8月23日(土)
がたんごとんという不規則な振動で目が覚めた。
時間はまだ5時を少しまわったところであるが、既に何人かの乗客は起きているようだ。
私も顔を洗いに行くことにした。
寝台列車の洗面所はノブを押さえていないと水が出ないので、とても不便であるが、これも旅のいい思い出になるのだろうと思えば楽しいものでした。
少し車内をウロウロした後で、自分の寝台へ戻るとほとんどの方は起き始めているようでした。
ゆっくりと身支度を整え、忘れ物が無いかをチェック。
急行列車であった大山は、米子を過ぎた所で快速列車になり、我々が降りる松江を過ぎると後は終点の出雲市まで各駅停車になるそうです。
午前6時37分、定刻通り大山は松江へ到着。
寝過ごす事もなく全員無事に下車。
ここで第2関門クリアです。
ホームで滋賀県や奈良県の方々と合流し、改札へと向かいました。
改札を出た所に地元の方が迎えに来てくれていました。
事前に朝食をどうするかについて、島根のBBSで「朝早くからでは駅前で食事は取れないでしょう」と聞いていたので、大阪組と私とHさんは会場であるホテルの隣にあるホテルで朝食をとるためにタクシーで移動。
SさんとKさんは午前中の会議には出席しなくていいので、ここからバスに乗って米子へと戻り、少しの時間ではありますが「夢港博」の見物へと別れました。
私たちはホテルのレストランで朝食をとり、1時間ほどゆっくりしていました。
Hさんがなにかゴソゴソしているので、どうしたのかなと聞いてみたら、夕べ家を出る時に開けたタバコが無くなったので新しいタバコをカバンから出しているとの事でした。
え〜っ、まだ12時間ほどしか経っていないのに既に1箱も吸ってしまったのかぁ。
帰るまでに一体何箱タバコが必要なのだろうと思ってしまいました。
会場の松江ニューアーバンホテルへ移動し、決められた席へ着席。
午前中は年に一度の全国代表者会議という事で「情報処理機器を日常生活用具の普及品目に」とか「児童加産手当の復活」など、要望事項などを討議しました。
昼食の時間になり、お弁当をいただいたのですが、おいしいことは良いんですけど私にとってはご飯が少ない。
いろんなおかずよりもご飯が食べたかったよぉ。
ロビーでは池野通建が「シグナルエイド」というポケベル程度のリモコンのような物を、アメディアが「ヨメール」という視覚障害者用OCRソフトを展示していたので、「ヨメール」の方をじっくりデモさせてもらいました。
午後は3つの分科会に別れて、いろいろな事について研修する事になっています。
第1は愛媛県で実施している「エスコートゾーン(横断歩道上に誘導ブロックを敷設したもの)」や四国電気通信監理局で実験している「人ナビ(盲人が利用できるGPSを使ったナビゲーションシステム)」が歩行の補助となりえるかなどについてです。
第2は視覚障害者のファッションについてということで、日本一の床屋さんなどを迎えてファッションについて話し合いが行われました。
第3は新しいスポーツ についてなどで、フロアバレーボール(盲人バレー)の体験実習が行われました。
昼食休憩の間にSさんとKさんは会場に戻って来られ、KさんとHさんは第1へ、私とSさんは第2へ別れて参加しました。
4時間におよぶ研修を終え、今晩泊まる部屋のキーをいただいて、まずは荷物を部屋へ置きに行きました。
大概は和室かツインの部屋のようですが、今回はほとんどがシングルルームのようでした。
部屋も割と広いし、これならゆっくりとトイレにも入れるしシャワーも浴びれるし、イビキなどで気兼ねする事もなく眠れそうだなぁと感じました。
夕食会までの約1時間のあいだにシャワーを浴びたりホテル内を探索したりとそれぞれ行動し、お楽しみの夕食会へと参加しました。
私たち4人が夕食会場へ行った時にはほとんどの席がうまっていて、4人かたまっては座れずに少し別れての着席でした。
どこが松江らしい夕食なのか私には分かりませんでしたが、シジミの椀物があったので「これはホテルのすぐそばにある宍道湖で取れたシジミなんだろうか?」と思いながら口をつけました。
「んっ、このお汁やたらとコショー味がきついなぁ」と思ったら、味噌汁ではなくて中華風のスープでした。
でも中華風のスープにシジミって入れるものなのだろうか?
食事の最中に松江在住の歌手という松江とおるさんの安来節や銭太鼓などが披露されていました。
食事は1時間半も近くなると、皆さんはザワザワと減り始めていく。
さあ、これから夜の松江の観光?へと繰り出して行くのです。
本当であれば、ここからのレポが一番面白いところなんでしょうが、残念ながら私は目の調子が良くなくてホテルのお部屋でくたばってました。 (TT)
お出かけした3人は地元の方に紹介してもらったスナックで30分ほどいたそうですが、あまり楽しくなかったのか松江城のそばにある「からころ広場」へと移動したそうです。
ここで中国残留孤児だった人がやっているという中華料理屋さんへ行き、ラーメン・炒飯・焼き餃子・水餃子・ビールをいただいたそうです。
ここは非常に美味しかったとの事で私も食べたかったよぉ。
ホテルで待っている私のために途中のローソンでおにぎりやプリンなどを買って帰って来てくれたのが10時30分頃。
30分ほど話をしていましたが、皆さんちょっと食べ過ぎたせいか眠そうだったので、それぞれ部屋へ戻って眠ることにしました。
私もシャワーを浴びて23時30分頃にはベッドへ入りました。
これで2日目は終了し3日目へと続く。

三日目 8月24日(日)
プルルルル、プルルルル、プルルルル。
電話の音で目が覚めると、もう既に7時をまわっている。
6時には起きてゆっくりとシャワーでも浴びるつもりだったのに、昨日の寝不足がたたったのか寝過ごしてしまった。
急いで顔を洗い、身支度を整えて朝食をとりに行くことに。
ここのホテルの朝食は和食でした。
内容についてはあまり変わりはないと思うが、ご飯を3杯も食べてしまった。
ふだんはインスタントラーメンがほとんどなのだが、出先ではやたらと食欲が沸くみたいです。
再び部屋へ戻り荷物の整理をしていたら、冷蔵庫の中に昨夜のおにぎりが残っていることを思い出し、また食べてしまった。
8時30分をまわったところで部屋を出て、まずチェックアウトを済まし、9時からの大会式典会場へと移動。
お決まりの式典が終わったところで、お楽しみの記念講演が始まった。
今年の記念講演は、竹山流の津軽三味線演奏家である横手明山氏のライブ。
この横手明山という人は、島根生まれで60歳手前の視覚障害者であるらしい。
最初に子供の頃や若い頃の苦労話を聞かされて、いやいや聞かせていただいて、その後竹山氏の一番弟子である栄山氏に弟子入りし今に至るお話を聞いた後、津軽じょんがらやよされ節など6曲ほど力のこもった演奏を聴かせていただきました。
生で津軽三味線を聴いた事は無かったし、今までに聴いたといっても大勢で弾いているのだけでしたから、独奏でも随分迫力のあるものだと感激しました。
この後、お昼の休憩になり、和歌山の4人はホテルを出ました。
ホテルの外はお天気も良く非常に暑かったのですが、鳴いているセミはアブラゼミやミンミンゼミの他につくつくぼうしも鳴いていて、もう夏も終わりなんだなぁなんて思っちゃいました。
さあて、昼ご飯ですがKさんが「松江へ行ったら鯛茶漬けが食べたい」と言っていたので、歩いて15分ぐらいの所にある「みなみ」という所へ行く事にしました。
そこは料亭旅館のような感じで、まずロビーのようなところで少し待って個室のような部屋へ案内されました。
メニューには色々とあったようですが、他のものをたのむと時間がかかると言われたので4人とも「たい御前」の竹(松・竹・梅の竹)というのを注文しました。
ちなみに一人2200円くらいだったかなぁ。
やって着たお皿には鯛のそぼろ・大根おろし・わさび・刻み海苔・そぼろの玉子が乗っており、これを自分の好みでご飯の上に乗せ特性のだしをかけていただきます。
これはしつこくもなくあっさりし過ぎでもなく、とっても美味しかったです。
その他にカレイの唐揚げが1匹分付いていて、身の部分の唐揚げは酢醤油でいただくのですが、骨も二度揚げして骨せんべいにしてあるので、カリカリとして美味しく、全部食べちゃいました。
お腹もふくれたところで、Kさんは午後の会議があったのでタクシーでホテルまで送って行き、残りの3人は松江城へと向かいました。
タクシーを降りて天守閣が見えるところまで登ろうとしたんですが、これがなかなか進まない。
20分ほど登ったところであまりの暑さとお昼からビールを飲んだせいで諦めて戻りました。
下りる途中でかき氷を食べ(まだ食うかぁ)近くにあったお土産センターへと向かいました。
ここでお土産のちくわを買って再びホテルへ戻りました。
ホテルに帰るとちょうど会議が終わったようでした。
ここでHさんは持って来ていたマイルドセブンスーパーライト5箱が無くなったということで、またタバコを買っていました(恐ろしやヘビースモーカー)。
近畿や中部地方の方のほとんどが松江駅から岡山方面へ行くようでしたので、列車の時間ごとに別れてタクシーで駅へと向かいました。
和歌山組は15時40分の「スーパーやくも」で岡山へむかいましたが、通路をはさんで隣の席に兵庫の方が座っておられ話をしながら2時間20分過ごしました。
岡山駅で18時19分の新幹線に乗り換え車内で夕食をとることにしました。
私とKさんは「あなご弁当」をSさんとHさんは「すき焼き弁当」を買いました。
お腹が減っていた私たちはまだ完全に暖まる前に食べ始めてしまったのですが、まあまあ美味しかったです。
新大阪駅での乗り換えの時に売店で「たこ焼きプリッツ」を買って20時02分発の新宮行き「オーシャンアロー」で和歌山へむかいました。
この「オーシャンアロー」には車内に自動販売機があるのですが、疲れていたので見学には行きませんでした。
和歌山へむかう途中、弟から電話が入り、私たちが和歌山駅に着く頃に近くにいるから迎えに来てくれるということでした。
ワーイ、これで和歌山駅から電車を2本も乗り継いで帰らなくていいのでとってもうれしかったです。
列車は21時04分に和歌山駅に到着し、私とSさん・Kさんはここで降り、Hさんはそのまま湯浅駅まで乗って行きました。
いつもならここでお疲れ様のお茶会をするのですが、私はお迎えが来ていたのでそのままSさん・Kさんと別れ家へと帰りました。
帰る途中で弟たちはまだ晩ご飯を食べていないということでモスバーガーへ立ち寄り家へ帰ったのが22時を過ぎていました。
これでも電車を乗り継いで帰るよりは早いし歩く事もないので助かりました。






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