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第49回長崎大会


一日目
二日目
三日目





一日目 7月19日(土)
今年は皆さんいろいろと用事があって和歌山からの参加は私一人…。
 3年前の和歌山が開催地の時にも全国からたくさんの参加があり大変うれしかった。
その時に何よりも心配していたのがアクシデントだった。
台風や集中豪雨による雨や風で飛行機や列車が予定通りに動かなかったら…。
今回は列車の脱線事故と集中豪雨のダブルパンチ…。
大会の実行委員や事務局は大変だったであろう。
私は初日の会議には出席する必要がないので夕食に間に合うようにホテル入りする予定で列車のチケットを取っていた。
が、前日の18日22時前の脱線事故で博多−長崎で一部不通になっており「かもめ」が利用出来ないというニュースを聞いて、心配しながらもとりあえず就寝。
19日、朝起きてから前日の夜行バスでハウステンボスに向かった大阪府のマイケルさんに電話してみると、何とか到着していて雨も大したことないが、夜行列車でハウステンボスに向かった協議会長たちは、なんと博多駅で下車させられたらしいとの事?? (@@)
で、協議会長と同行している奈良のmileさんに電話してみると、どうやら博多駅周辺が冠水したために博多駅で下車を余儀なくされたうえ、ホームからも移動出来ない有様との事。 {{(>_<)}}
博多駅では駅施設の電気系統がショートしエスカレーターや自動改札も動かないし、空港からの地下鉄も不通。
そのうえ福岡から長崎までのハイウェイバスはあるものの市内が冠水では天神にあるバスターミナルへの移動も出来ないし復旧がいつになるかも分からないようだ。
結局、協議会長たちはお昼前まで、ホームで新聞紙を引いて、その上に座っていたらしい。 (TT)
いっその事、「伊丹空港から長崎空港へのコースに変更した方が良いのでは」とのアドバイスを受けて伊丹空港に空席確認の電話をかけるも、ずっと話し中。
まあ、私が博多に到着する16時頃にはハイウェイバスが運行している事を期待して、JRを利用する予定通りのコースで9時過ぎに家を出発。
まず、和歌山駅で乗り換えの際のサポートを依頼。
ここで、最初に」長崎まで行けるかどうか分かりませんよ」と言われる。
和歌山駅からは10時57分発の紀州路快速で大阪駅まで行き、後は東海道線に乗り替えて新大阪駅へ。
普通であれば「くろしお」で新大阪駅まで行けば良いのだが、新大阪駅での乗り換え時間が8分しかないので、もしもの事を考えて安全策を。
途中で長崎のNさんから電話が入り、同じ新幹線に乗る予定の広島市の方々と博多から行動を共にして下さいとの指示。
大阪駅・新大阪駅で職員さんのサポートを受けるが、両方でも長崎までは?と…。
とりあえず、12時58分発のレールスターで博多へ。
今回の楽しみの一つがこのレールスター。
なかなか乗り心地も良かったし、隣がずっと空席だったので余計に落枕。 (^_^)
でも、これって昔の「グランドひかり」の焼き直しじゃないよね。
15時41分に予定通り博多駅に到着。
他の駅員さんはいろいろと忙しいらしく、車内まで駅長さんが迎えに来てくれた。
博多駅は午前中の冠水の影響で駅施設の電気系統がまだ動いていないらしい。
まず、「かもめ」の指定席をキャンセルし、全額払い戻していただく。
そして改札口で、広島市の方々と合流。
広島市からは男性1名・女性3名の全盲4名で参加らしい。
Nさんからは手配しているタクシーで博多駅からバスターミナルのあるてんじんまで移動して、私の名前で5名分予約してある16時45分発の長崎駅行きの「九州号」に乗って下さいとの指示があったようだ。
しばらく待っていたが、どうやら手配してくれていたタクシーが交通渋滞で博多駅まで辿り着けないとの連絡が入り、16時15分過ぎに駅前のタクシー乗り場から男2名と女性3名で2台に分乗して天神へ。
が、交通渋滞は市内全域のようで、私たちが乗ったタクシーもなかなか進まない。
30分過ぎに何とか先に天神に到着した男性組は、何かの販売促進をしている女性にターミナルの場所を聞いてバスターミナルへ。
バスターミナルでも売店の人に聞きながら、やっと予約の受付カウンターへ。
ホッとしたのも束の間、バスの発車10分前までに予約の確認作業を済ませていないと自動的にキャンセルになるらしく、遅れていた女性組がそろった時には40分を過ぎており、私たち5名文は既にキャンセル扱いに。 (-_-;
長崎行きは30分毎に出発する予定らしいが、脱線事故の影響もあってかバス乗り場には大勢の人が並び、次に5名まとめて予約が取れるのは19時20分らしい。
そこを何とかならないかと広島市の男性が食い下がっている時、45分発予定のバスが少し出発がおくれており、私たちの5名分がまだ空席のままだとの事で無事に乗車し、17時に出発。
普段なら長崎まで2じかんちょっとらしいのだが、交通渋滞もあるので若干到着時間が遅れるとのアナウンスも、「無事に付けるのなら少々遅れたって」と心の中で余裕を持つ私。
が、出発後1時間経った18時になってもまだノロノロ運転で高速に乗っている気配無し。 (-_-;
当初の予定では18時にはホテル入りしている事を知っている登夢太郎さんから心配の電話。
まだまだ着きそうもない事を伝え、ホテルに到着したら連絡する事を約束。
18時20分頃になって、やっと高速に乗って、本来のスピードで走り出す。 (ホッ)
普通なら途中のサービスエリアでドライバーの交替があるだけで、乗客は下車出来ないらしいのだが、乗車時間も長いので、乗客もトイレ休憩のために下車の許可。
車内は禁煙なので、私も下車してバスの横で喫煙。 (フーッ)
ここで今年初めての蝉時雨を聞く。
乗客が全員バスに戻ってもなかなか発車しない。
どうやら交通の乱れで交替のドライバーと連絡がつかないらしい。
会社に連絡しても、どうしても交替ドライバーが見つからないとの事で、そのままのドライバーで出発。
この判断が結果的には良かったようだ。
途中で、広島市の男性が長崎のNさんに状況の連絡を入れ、役員さんからは遅れて到着しても夕食が食べられるように手配してあるとの返事。
この後は、特に問題もなく、長崎駅前に20時頃に到着し、同じバスに乗り合わせた人にタクシー乗り場まで誘導していただき、タクシーでホテルへ。
私と広島市の男性が乗ったタクシーの運転手さんはヘルパー2級の資格を持っているらしいが、「障害者や高齢者で、介助が必要そうな人には誰か付き添いさんがおられるのでヘルパーとしての働きをした事がない」と言っていた。
三日間の大会会場である長崎センチュリーホテルに到着して受付を済ませ、部屋に荷物を置いて、すぐに食事に。
ここで自宅と登夢太郎さんに無事到着した事を報告。
どうやら協議会長たちも夕方からの会議に間に合ったらしい。
私が行った時には食事の会場には10数人の人がいて、知り合いの人に挨拶をしながら食事をしていたが、私が食べ終わる頃には数人に。
部屋に戻っても大会中の2泊、同室になる石川県の3人さんはまだ到着していない。
何はともあれ、まずはいつものように室内チェック。
バス・トイレに窓、電話とクローゼット・タオル・浴衣の在処、ポットにお茶セットに灰皿、有料テレビはカード式なので安心、冷蔵庫は引き出し式なので余分な物は入れられないっと。
一頻り探索した後、私は明日用の服と着ていた服をクローゼット?のハンガーにかけて、短パン・ノースリーブに着替えて休憩。
21時過ぎになって、やっと弱視のKさんお一人到着。
どうやらホテルに着いて荷物を持ったまま用意されていた食事に行ったらしい。
もしかしたら私が部屋の鍵を持ったまま食事に行ってしまったせいで部屋に入れなかったかな? (^^;
しばらく道程の話をしてからKさんはチャンポンツアーへ。
22時前に弱視のIさんと強度弱視のMさんも到着。こちらのお二人は外でチャンポンなどの夕食をとってきたらしい。
これで、2泊のメンバーが全員到着。
ここでも道程の話をしていたのだが、小松から福岡まで飛行機で移動したものの、空港からバスターミナルまでの地下鉄が不通になっていたため徒歩で移動し、このお二人は私が乗ったバスの1時間も前に出たバスに乗ったらしいのに、長崎に着いたのが私よりも30分近く遅かったらしい。
後になっていろんな人から聞いたところによると、福岡市内の交通麻痺が解消し始めた直後の11時頃に天神を出たバスで長崎に着いたのが20時だったというのもあったらしい。 (-_-;
どうやら福岡市内の交通渋滞やそれを迂回しようとしたり、途中でのドライバー交替の不具合で早くに出たバスほど時間がかかったようだ。
それに対して、羽田や名古屋や伊丹・関西の空港から長崎空港を利用した人たちはほとんど時間のロス無く来られたようだ。
荷物をかたづけて再びIさんは外出。
そうこうしていると明日の分科会・代表者会議と並行して行われる機器展のネリマサウンドさんが来室。
私は機器展に行っている時間が無いであろうと思い、音声万歩計を購入し、ポケット電卓を購入予約。
その後、知り合いの部屋へ電話したら大浴場が23時までと聞いて、急いでMさんとお風呂へ。
このホテルの大浴場はラドン温泉らしい。
大浴場がある2階へ行くも何処か分からない。
ウロウロしていると音声誘導システムの展示にみえている池野通建の方に声をかけていただき脱衣所まで誘導していただく。
ここの大浴場は一人では来にくそう。 (^^;
が、洗い場内はいつものように勝手にウロウロ。
ゆっくりと長旅の疲れを落としていると、外は激しい雨。
外に出ている人は大丈夫かなぁと話しながら23時版頃に部屋に帰ってしばらくするとチャンポンツアーに行っていたKさんも帰室。
チャンポンツアーには20数名が参加したようで、店内はかなり窮屈だったようだ。
でも、Kさんたちは何とか雨には降られなかったみたい。
が、Kさんはすぐさまホテルの一室で行われる参加者が地元の名菓や特産品を持ち寄る全国名産品舌鼓会へ。
その後、Mさんに留守番をお願いして私と奈良のmileさんは大阪府のマイケルさんのガイドさんに付き合っていただき飲み物やアイスクリームを買いに大浴場のそばの自販機へ。
ここで、高知のNさんに出会う。
Nさんは昼前に高知空港から福岡空港行きの飛行機に乗る予定だったらしいのだが、まず高知空港の天候不良で出発が1時間遅れ、やっと飛んだものの福岡空港までの空路の雲を迂回するのに通常の2倍近い時間がかかったようだ。
その後、何やかんやで長崎入りしたのが23時らしい。
でも、Nさんはこのホテルに宿泊する予定になっていないのにお風呂?
私が部屋に戻るとIさんも帰室。
どうやら25時くらいまでは大浴場が空いているらしいとの事で、Iさんは急いでお風呂へ。
石川からの三人さんのうち、Iさんは一昨年度までの青年部長さんで数年前から全青大会に参加していて、Kさんは昨年度から青年部長になり全青大会も2度目、Mさんは今回が全青デビューらしい。
半時間ほどでIさんが帰室し、何やかんやと話をしていて、25時を廻ったあたりで電気を消して三人は就寝。
ちなみにKさんは27時頃に戻って来たらしい。

二日目 7月20日(日)
朝6時半前に起床。
外は強い雨。
近畿から夜行バスで長崎へ向かっている奈良と京都の人たちの状況が心配で、奈良のTさんに電話。
どうやら予定通りのようで諫早市を過ぎたあたりらしく7時半前には到着する模様。
私たちは4人そろって7時に朝食会場へ。
朝食は和食・洋食ともにバイキング形式ながら、ホテルの従業員さんが一通り取ってくれる。
私は洋食にしてパンとスクランブルエッグ・ベーコン・ソーセージ・ポテトサラダにサラダとオレンジジュース。
Iさんは和食、Mさんは洋食、Kさんは両方食べていたような。
一通りを食べ終わったところで、Kさんが「お変わりはいりますか?」と聞いてくれたので、パン2つとミルク、おかずは大目にお願いする。
いつもの事ながらホテルの朝食はどうしてこんなに食べられるのだろう?
それを食べ終わって揃って部屋へ。
大会二日目の午前中は三つの分科会に別れて研修。
第1分科会は、盲聾者とのコミニュケーション手段と地方提出議題の検討。
第2分科会は、平和学習と地方提出議題の検討。
第3分科会は、ボウリング体験。
で、私が第1分科会、Kさんは第1分科会で地方提出議題の検討を終えた後第2分科会の平和学習へ。
IさんとMさんは第3分科会。
それぞれ身支度して8時版過ぎに分科会の会場へ。
私が出席した第1分科会では、前半に地方提出議題の検討をした後、山口県の盲聾者友の会の事務局の方を講師に迎えて研修を行った。
盲聾者とは、視覚と聴覚に障害のある人で、音の情報も文字の情報も得られないのでコミニュケーションには非常に苦労する。
そういった人たちのために通訳をしてくれる人たちが必要になる。
ただ、盲聾者と言っても、元々が視覚障害なのか聴覚障害なのかで大きく変わってくるらしく、元々が視覚障害の人を盲ベースの盲聾、元々が聴覚障害の場合は聾ベースの盲聾と言うらしい。
盲ベースの場合は指点字やブリスターという機具を利用する事が多いらしい。
指点字とは、通訳者が盲聾者の指の上に自分の指を重ねて点字タイプライターで点字を打つようにして伝える方法。
ブリスターとは、小型の点字タイプライターのような物で、幅1Cmくらいの紙テープに点字を打ちだし盲聾者に読んでもらうもの。
また、点字を知らない人には指文字と言って、手のひらや身体の一部に通訳者がカタカナなどの分かりやすい文字を書いて伝える手段もある。
聾ベースの人には、接手話という、手話を行う手に触れていてもらい意志を伝えるものがあるらしい。
まずは、隣の席の京都のFさんと指点字で会話の練習。
その後、他の方とも指点字やブリスターで意思伝達の練習。
いやぁ、難しい。
将来、耳が遠くなってきたら必要なんだろうなぁと思いながらも、私は話し半分で、別の作業を。 (^^ゞ
どうやら午後の代表者会議の議長団をやるはめになりそうで、分かりやすいように次第作りに必死だった。 ¢(..)
第2分科会では、提出議題の検討後、58年前に実際に被爆された方を講師に迎え、「なぜ長崎に原爆が落とされたのか」や当時の様子などの話を聞いたあと、いくつかのグループに分かれての討論などをしたらしい。
第3分科会は、会場をラッキーボウルに移動して視覚障害者でもボウリングが楽しめるようにガイドレールという器具を利用してのボウリングだった。
全盲者には女子大生のボランティアが付いたようで、長崎までボウリングをしに来て良かったと喜んでいた参加者もいたようだ。
分科会や代表者会議をやっているのと並行して、別室ではネリマサウンドの福祉機器展やガイシステムと高知システム開発によるパソコン教室なども行われている。
午後の代表者会議は出席者が限られているので、出席しない人は、こちらに来たり市内観光をするようになっている。
昼食前に機器展のネリマサウンドさんのブースへ行って、ポケット電卓を受け取った。
どうやら昨晩のうちに部屋を訪れてくれたらしかったのだが、大浴場に行っていて留守だったらしい。 m(__)m
昼食を急いで済ませて、代表者会議の会場へ移動。
共に議長団をする予定の仙台市の青年部長のTさんを探す。
が、なかなか見つからない。
神奈川のミセスTさんに声をかけられてTさんを探していると言うと、午前中のボウリングで汗をかいたので一旦部屋へ戻ってシャワーを浴びて着替えてくるらしいとの事。
うーん、役割分担と段取りの確認が…。
そうこうしているうちにミセスTさんがTさんが来た事を教えてくれて午前中に作った次第書きを渡して、役割分担を決める。
私は半袖のボタンダウンシャツにスラックスだったのだが、Tさんはスーツにネクタイ…。
そうこうしていると予定時刻の13時半になったが、なかなか始まる気配無し。
結局、15分近く押して代表者会議がスタート。
協議会長のNさんの挨拶の後、代表者の出席確認があったのだが、名前を呼ばれていない団体がいくつかあって余計に時間が…。
どうやら代表者会議への出席届けを出していない団体がいくつかあったようだ。 (^^;
116の議席数に対して、出席者が70前後と委任が20ほど。
東北からの出席がほとんど無かったのと、関東も半分くらいしか出席していない。
まあ、遠いのもあるだろうが…。
この時点で、昨晩の寝台列車で長崎に向い今朝9時前には到着する予定だった滋賀の人たちと、今朝一番のレールスターで長崎に向かい昼過ぎには到着予定だった兵庫の方々が到着していない。
どうやら滋賀も兵庫も14時前には到着したらしいが、午前中のボウリングを楽しみにしていた人たちは非常に残念がっていたそうだ。
これで、今回の参加予定者は全員集結。
ちなみに近畿は16分の12だから75%の出席。
その後、私と仙台市のTさんが議長団に選任され、議事録署名人に福井の新青年部長のMさんが選出。
まず、Tさんが挨拶した後、私が挨拶し、前半の議長を私が。
最初に日盲連会長の中央情勢報告。
ここで、一つ目のミス。
議事録署名人のMさんの挨拶を飛ばしてしまった。 (^^;
おまけに執行部よりちょっと遅れているが九州盲人会連合会の会長さんも来られるので、挨拶を入れてとの指示。
中央情勢報告の途中で入って来られたので、日盲連会長の後に「九州盲人会連合のT会長の挨拶です」と、二つ目のミス。
この後にMさんの挨拶を入れて、何とか本議題へ。
議事資料は事前に送付しているので時間の短縮にはなるが、なぜかそれでも最後の方では時間が足りなくなる。
14年度の事業・決算・会計監査報告は以外とスムーズに承認。
15年度の活動方針、事業計画・予算案では、執行部の説明が不足と突っ込みが…。
やはり私の予想通りか…。 (^^;
次に16・17年度の協議会長と会計監査の選挙。
協議会長は留任、会計監査は石川のKさんが無投票当選と選挙監理委員が報告して終わりになるかと思いきや、選挙規定に関しての突っ込みが…。
選挙規定の改正については執行部で改正案を作り、来春の全国委員会を経て次回の代表者会議に提出する方向で決着。
ここで、休憩を入れて、仙台市のTさんに議長交代。
後半の始めに日東医学会のS会長からのお知らせがある予定だったのだが、こちらも遅れているようで、後半が始められない。 (-_-;
ただでさえ押しているのだからという事で、おいでになった時点ではめ込む事にして、地方提出議題の検討を始める。
2つの議題を検討した後で、日東医学会のS会長が来られて挨拶&お知らせ。
その後、3つの議題の検討。
うーん、発言するのはいつも同じ人。
時間もないが、もっといろんな人に発言して欲しいなぁ。て言うか、私も言いたい事が…。
どうやら私の口を封じるためにこの席に…。
分科会からそれぞれ1題の提出議題の発表があって、地方提出議題と合わせて、この中から2題を来年5月の全国盲人福祉大会への青年協からの提出議題とする。
が、時間の都合もあるので、選出については例年のごとく、3日目の全国委員会へ委託。
次の執行部提出議題で更に時間が…。
地元役員さんからは17時を過ぎるとボランティアさんは引き上げるから必ず時間内に終わらせるようにと耳元にプレッシャー。
大会宣言と決議案は問題なく承認。
50周年実行委員会からの報告と次回開催地である東京都さんの挨拶も済ませて、何とか15分前には議長退任し諸連絡を済ませても17時には間に合った。 \(^o^)/
交流会が18時半からなので、一旦部屋へ戻って休憩。
あらっ、部屋が閉まってる。
フロントへ行って鍵をいただいて来てしばらくすると代表者会議に出席していたKさんとMさんが帰室。
そして間もなく午後に長崎の市内観光に出かけていたIさんも帰室。
すぐに石川の三人さんはお風呂へ。
で、私は留守番。
私一人の時に協議会長が来室。
石川のKさんが会計監査に就任する事をJBS福祉放送の「セブンデイズ日盲連」で紹介しようと声を録りにきたらしいが、残念ならら不在。
しばらく話をしていたら、昨年の福井大会の際に同室だった新潟の青年部長Sさんと仙台市のTさんが来室。
石川の皆さんを訪ねて来たようであったが、こちらも残念。
少し話をして皆さんは退室。
18時過ぎに同室の3人さんが戻って来られたので、私は交流会へ出る前にお土産を買いにフロント階の売店へ。
お土産を買って送る段取りをしていたら18時半。
急いで交流会の会場へ。
今年の交流会も座席は抽選らしいのだが、どうしても別れたくないガイドさんとかグループなどは免除してくれるとの事。
食事はバイキング形式との事で、各テーブルにはボランティアさんが2名ずつ付いてくれるらしい。
しかも午前中のボウリングに参加した全盲には同じボランティア女子大生が付くとの事で、テンション高い人も…。
まあ、一人の私はどこでも結構。
最後に席に着いたのが良かったのかボランティアの女子大生のKさんは私の隣席。
Kさんは福祉科の4回生で介護福祉士志望らしい。
ただ、私のテーブルにはボランティアさんが一人。
どうやら、もう一人の人が来られなくなったらしい。
後は、広島市の女性を覗いて男が7人。
しかも平均年齢は45歳近いような…。
若い人の参加が増えている中、どうしてここは…。
Kさん、一人だったら大変だなぁと思っていたが、かなり頑張ってくれていた。 (^O^)
皿うどんやいろいろと取り分けてくれるし、飲み物も「次、何飲みますかぁ」と聞いてくれて持ってきてくれる。
おかげで果実酒を3杯も飲んでしまった。 (^_^)
交流会と言えば、何かのアトラクションが恒例になりつつあるが、今年は前半が地元役員のNさんのバンド演奏。
と言ってもアコギとキーボードによる懐かしいフォーク調。 (^O^)
で、後半はと言えば、デーモン閣下?のワンマンショー。
いやぁ、実に素晴らしいハイトーンボイス。
最近では、本物でもあんなにきれいに「蝋人形の館」を歌えないんじゃないかな?
昨日の昼過ぎに行われる予定だった九盲連の青年部会議が延期になった分、代表者会議と交流会との間に入れたのでメイクまでしている時間はなかったようだが、どうやら佐賀の青年部長らしい。
九州って芸達者な青年部長がいるんだなぁ。
交流会も終わりに近づくと、いつもの事だが変なのりのグループが出来はじめる。
役員さんが事務連絡をしようとしても一向に静かにしようとしない。
逆に騒ぎ出す奴も…。
こんなのが道頓堀に飛び込むんだろうなぁと思いながら、だんだん気分が覚めていく。
んっ、何か忘れてるような気が…。
あっ、青年協のイメージソング「青い道」を歌っていない。
まあ、いいか。
交流会も終わり、部屋へ戻ろうとしたら、ボランティアのKさんが部屋前まで手引きしてくれた。
が、またもや鍵がかかってる…。
フロントへ行こうとしたら、エレベーターから降りてきた一団が「六甲おろし」を大声で合唱しながら行進してくる。
それを避けてエレベーター前の長いすに座ってタバコを吸ってから、もう一度部屋へ戻ってみたら部屋は空いており、3人さんも戻ってる。
何だか外で大きな音がすると思ったら、港祭りという事でたくさんの花火が打ち上がっている。
そういや20時頃から花火が上がると聞いていたような。
が、部屋の窓からは見えないみたい。
石川のKさんはこの後の二次会へ参加するとの事で出室。
私は明日着る服以外をリュックに片づけて今日も短パンノースリーブに着替えて、大阪府の三人さんと兵庫の方がおられる部屋へ遊びに。
が、部屋は閉まってる…。と思ったら、隣の部屋に。
入ってみると、京都府の三人さんに広島県のお一人はここの人だが、それ以外に大阪府の三人と女性のガイドさん、兵庫のYさん、京都の女性、奈良のmileさん、長崎のSさんの12人…。
途中では京都のSさんや大阪府のMさんや京都の女性やマイケルさんのガイドさんには何度も買い出しに行っていただく。 m(__)m
硬いの軟らかいの、それぞれにいろんな話が飛び交う。 (^_^)
おまけに若い女性に薦められると酎ハイを何杯飲んだ事やら。 (^_^)
話の中で、代表者会議の際に配布されていた資料類の中に役員名簿がない事が出て、私以外にも京都さんや兵庫さんももらっていないと…。
私は一旦資料類を取りに自室に。
結局、資料類の中には名簿がない事を確認。
25時頃には京都の三人さんと広島県の方が眠り始めたので、京都の女性と長崎のSさんは自室へ戻り?、残りは隣の部屋へ移動。
一旦、退室していた奈良のmileさんが不足している分の名簿を持って来室。
ここでも多気に渡る話が。
いつもの事だが、他の部屋でも夜通し討論会が行われていたようだ。
昼間の会議よりも、どうもこっちの方が盛り上がるんだなぁ。
27時頃に奈良のmileさんが退室、29時前にマイケルさんのガイドさんも退室。
結局、この部屋の四人と私は朝までウダウダ。

三日目 7月21日(月・祝)
6時になってすぐに大阪府のAさんとMさんと兵庫のYさんと私は大浴場へ。
うーん、アルコールを抜いて目を覚まさねば。
アルコール抜きなのか?私たち以外にも早くから入っている人もチラホラ。
一旦、書類を取りに大阪府の部屋へ戻ってから7時前に自室へ。
自室では皆さん起床しており、7時に石川の皆さんと朝食へ。
昨日は洋食だったので今日は和食を。
でも、おかずの半分くらいは洋食と同じ。
まあ、バイキングだからどっちでもいいんだな。
で、いつものごとくご飯はおかわり。
朝食を食べ終わって身支度をして部屋へ戻り、荷物の片付けを。
私は地元のNさんにカステラを送ってもらうようにお願いしていたので、ちょっと早めに石川の皆さんとは別れて大会式典の会場へ。
Nさんにカステラの代金を支払って会場へ入ろうとしたら、式典の後に行われる記念講演のリハーサルをやっているようだったので、ソファーのあるところでゆっくりと喫煙。
そろそろいいかなと思い会場に入ろうとしたら兵庫のYさんとガイドさんに出会い、同席させていただく。
まず、昨日の分科会と代表者会議の報告だったのだが、平和学習をした第2分科会の報告では責任者の奈良のmileさんが声を詰まらせてしまうなど大変有意義であった事が分かった。
大会式典では、協議会長の話の中で、博多駅の冠水が解消し途中までしかいけないかもと分かっていながら予定されている会議に出席するために博多から長崎方面行きの列車に乗ったものの、やはり途中までしか行けず、困っている所をわざわざ2時間以上も遠回りしてまで車で送ってくれた親切な人がいた事を言っておられ、その好意を受けるかどうかで悩んだとも言っていた。
これは私の勝手な解釈だが、悩んだ理由の一つは、送ってくれた人たちの知り合いにも被害を受けている人がいたりしたら2時間近くも遠回りしていただく事への遠慮、もう一つは今の世情から親切を信じていいものかという疑念ではなかっただろうか。
協議会長とmileさんだけなら迷いは少なかったかも知れないが、女性のMさんも一緒となると…。
しかも協議会長とmileさんは全盲、もし何かのトラブルに巻き込まれたら…と。
邪推かも知れないが、私なら上記の理由で悩むであろう。
しかし、世の中悪い人ばかりじゃないよねぇ。 (^O^)
式典はいつものように時間をオーバーし、記念講演の始まりは20分押し。
今年の記念講演は地元出身アーチストということで、佐田玲子さんのミニライブだった。
そう、佐田玲子さんはさだまさしさんの妹だ。
歌い方や曲調もお兄さんに似ている??
話は面白く、長崎や東海、FMでもラジオ番組もやっているそうだ。
で、インターネットでも聞く事が出来る「佐田玲子のレイコランド・カフェ」という番組もあるそうだ。
最後に舞台で写真を撮っていたが、既に予定時間を30分オーバーして12時になっていたので私はパスし、退出。
この大会中は長崎や九州の役員さんや実行委員の皆さんをはじめ、ホテルの従業員さんや多くのボランティアの皆さんから親切にしていただき大変お世話になりました。 (^_^)
兵庫の方々は私より2時間後の列車だったらしいのだが、わざわざ長崎駅まで一緒に来てくれた。
外は少し陽射しもあって蒸し暑いと思っていたら、時々パラパラと。
途中、路面電車にも乗ったが、停車時の急ブレーキ?は…、手すりを持っていないと立っていられない。 (^^;
駅でうなぎ弁当とお茶を買って改札でサポートを依頼。
しばらくホームのベンチで座っていたのだが、何か変。
そう、この駅では、入線や発車のアナウンスもブザーも鳴っていない。
サポートを受けて12時50分発の「かもめ」に乗車。
この列車は真ん中の通路より20Cm近く高い所に両側の座席がある。
この方が全盲でも歩きやすいかな?
発車してしばらくしてから昼食。
うなぎ弁当は美味しかった。
最後に気が付いたのだが、別にかけるタレも付いていたようだ。 (^^;
しばらくして3日前の脱線事故の場所を通る際にはカメラ付き携帯などで窓越しに撮影している人も。
このあたりから1時間ほど熟睡。
予定通り15時に博多に到着し、JR九州→JR西日本とサポートを受けて「のぞみ」へ。
ここで、乗り換えの際に売店にあるというゼンマイのオモチャを探したが無かった。 (TT)
JR西日本のサポートしていただいた職員さんからは、「この後、数人のサポート依頼があるようで、長崎で何か大会でもあったんですか?」と聞かれた。
簡単に説明したら、「皆さん遠くから大変ですねぇ」と言われた。
そのまま話をしていたら、この方は、以前和歌山の貨物区にも勤務していた事があったそうで、待ち時間があっという間だった。
この後、何か事故があり、「かもめ」の一部で少々遅れが出たようで、博多駅で新幹線への乗り換えに走らないといけなかった人たちもいたようだ。
私はゆっくりと15時22分発の「のぞみ700系」に乗車して新大阪へ。
この「700系」も今回の楽しみだったのだが、やはり「500系」と乗り比べてみないと違いは…。
ただ、この列車は東京行きなので居眠りしてたら乗り過ごすかも…。
少しウトウトしていたら広島で隣に人が。
で、岡山と新神戸の間ではかなり雨が降っていたようだ。
新大阪駅では「くろしお」まで13分の乗り換え時間なので、停車3分前には乗降扉の所へ。
JR東海→JR西日本とサポートを受け、18時03分発の「くろしお」へ。
これは京都発で、新大阪での停車時間も長くないし、私の席が乗降扉から一番遠い場所なので、車内は一人で移動。
私の隣の席の人は天王寺から乗車。
ここで弟から電話があり、和歌山駅まで車で迎えに来てくれるとの事。
和歌山駅で下車したら、ここでも職員さんが迎えに来てくれており改札まで手引きしていただく。
後は弟の車に乗り、途中のコンビニで夕食の弁当を買って家まで。
ふーっ、疲れたぁ。
でも、全国で頑張っているみんなのパワーを感じられるこの大会はいいなぁ。
今年は高校の修学旅行以来の長崎だったが、来年は中学の修学旅行以来の東京だ。






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